法人理念

1915年の法人設立以来、今日までの100年間、創業者城ノブの設立理念である「与えて思わず・受けて忘れず」「信望・愛・希望」の精神を継承しイエスキリストの神の愛と奉仕の精神を福祉の場で実現してゆきます。


 創業者城ノブと法人の歴史

 社会福祉法人神戸婦人同情会創業者の城ノブは、明治5年に愛媛県で生まれ松山女学校を卒業後、横浜の聖経女学校神学部〈現青山学院大学神学部〉を卒業後、伝道師として活躍していたが同郷の寺島のぶへが経営している神戸養老院の運営を助けてほしいとの依頼を受けしばらく養老院の仕事をしていたがその頃、大正時代の大不況時代に農村の多くの娘が売られ、あるいは転落してゆくさまを見かねて、大正5年に神戸市内に小さな家を借りて神戸婦人同情会を創設し「娘の家」と名付け女性保護事業を始めました。
 丁度その頃、女性の自殺が須磨の一の谷の海岸と国鉄線路に増え続けてきたので自殺防止のために城ノブが「一寸待て」の大看板を掲げて「死なねばならぬ事情のある方は一度来てください」と大書きし住所と電話を記載した立看板を国鉄線路際に6カ所設置しました。
 この看板について全国的にも大きな反響を呼び後日、同じく神戸で貧民救済事業をしていた賀川豊彦が「自殺防止の看板はあちこちにあるが具体的に住所電話を記載し相談に乗ります」と書いたのは城ノブだけだと言われたそうです。
 神戸出身の劇作家で小説家の妹尾河童の小説「少年H」と同名の映画に主人公が自殺をしようとして須磨の国鉄線路に来た時にこの自殺防止の看板を見て思いとどまったと書かれておりまた映画でもまさにその映画があります。

 

 

 ライト式の会館建設

 大正15年保護が必要な母子、孤児、単身婦人が増えてきたので新たに神戸市灘区青谷町に土地を求め設計をライト直弟子の建築家に依頼して働く婦人の子どものための愛児園、捨子や孤児のための子供の家、母子寮、単身婦人が生活できまた職業訓練ができる会館が完成しました。
 しかし第二次世界大戦が始まりまもなく昭和205月の神戸大空襲により全ての施設が焼失し有馬温泉に近い大池にある夏の避暑施設だけが残り疎開していた子供たちと職員が無事でした。
 ライト式の会館については、平成15年頃に日本建築史学会の方から電話があり本を作るので図面とか写真を借りたいとなので当時の写真とか資料を提供しましたところ後ほど立派な本が届けられました。


 戦後の生活 

 第二次世界大戦の終末期の神戸大空襲で三宮や神戸駅周辺にあふれた戦災孤児や夫が戦死した戦争未亡人の援助救済を兵庫県から依頼され尼崎市の田園地帯に放置されていた旧軍隊の施設に戦災孤児150人と戦争未亡人35世帯の世話をするため職員と共に移住し新たに保育所園田愛児園を開設しました。
 空襲で全壊した神戸の跡地に兵庫県が古材木で母子寮と保育所を建設し青谷母子寮と青谷愛児園が再開されました。